2026年度総会と286回例会のご案内
日 時:2026年6月6日(土)午後1時~5時
開催形式: 当会会員限定のZoom(オンライン)
総会(午後1時~2時)・議題:会計報告、運営体制、予算案など
例会・報告者: 熊谷のぶよし氏 題目: ナスターシャ・フィリッポブナの憎しみ
参加方法
Zoomによる参加希望者は、6月2日(火)までに、受付用アドレス
<[email protected] >にメールを送信してください。非会員で、会員の
紹介による場合はその旨お書き添えください。6月3日(水)〈予定〉に
返信メールでZoomログイン用URLをお知らせします。
なお前回例会参加者には自動的に送信します。
報告者紹介・熊谷のぶよし
「ドストエーフスキイ広場」での発表論文は以下の通り。「イワンの論理と感情」「「ネヴァ河の幻」出現の経緯」「ラスコーリニコフの深き欲望」「アリョーシャに心はあるか」「イワンにとっての「神の観念の破壊」」「『永遠の夫』の筋立て」
報告要旨
ドストエフスキーの小説『白痴』に描かれたナスターシャ・フィリッポヴナは、ムイシュキンとロゴージンとの三角関係の果てにロゴージンによって殺害される。多くの場合、この悲劇の原因は彼女の人格に帰される。端的に悪女、美貌の背後にある彼女の屈折した心を見て、その高慢さ、自尊心、屈辱が指摘される。彼女の狂気に苦悩を見い出すとしてもその狂気はナスターシャの性格属性として扱われる。しかし、ナスターシャの悲劇は彼女に起因するものではない。彼女の悲劇はトーツキイから受けた性的虐待による心的外傷性で生み出されたものだ。そう言い切りたい。
ムイシュキンの語るナスターシャの顔の印象を彼女の本質にアクセスするための手がかりとする、という読み方も排除する。そこには何らかの真実の発見があるかもしれないが、ムイシュキンの主観に反映されたナスターシャの心のごく一部に過ぎない。
ナスターシャの性的外傷の影響を追うにあたっては小説に書かれている事実を手がかりとする。小説の表面に現れる、劇的効果、美学的享受となる要素も考慮しない。端的にトーツキイによってナスターシャの何が破壊されたのか、その破壊されたことを意識から消したことでナスターシャがどう振る舞うことになったのか、そこに焦点を当てる。 発表は次の順序を予定している。
1. ナスターシャの生育史とトラウマの変遷 第1期:〈庇護者トーツキイ〉(7〜16歳)両親と妹を失ったナスターシャをトーツキイが引き取り、教育を施す。ナスターシャにとってトーツキイは「完全な救済者」であり、絶対的信頼の対象だった。
第2期:〈性的搾取者トーツキイ〉(16〜20歳)トーツキイは愉楽村でナスターシャと性的関係を持つ。ナスターシャは救済者が加害者へと変貌するという最も苛烈な裏切りを体験する。
第3期:〈緩慢な復讐〉(20〜25 歳)トーツキイの婚約の噂を聞き、ナスターシャは侮蔑と怒りをぶつける。しかし、それ以降のこの時期に、ナスターシャは教師の家族と親密な関係を築きその生活圏の中で老教師に溺愛される存在でもある。このナスターシャのあり方はガーニャの母とのやり取りの中でも言及される。ナスターシャの二つの生活圏を検討しありえたかもしれないナスターシャの生き方を提示する。
2. トーツキイからムイシュキンとロゴージンへの分裂した転移 ナスターシャの生活は、ガーニャとの結婚の卑劣な策動が始まるまでは穏やかに推移していた。異常なナスターシャは誕生日の祝いを境として完成される。ここでのトーツキイの罪の告白遊びは、ナスターシャの体験した性的虐待を、暗黙のうちに言及するに値しない無意味なものとして、その場にいたすべての者たちに承認させる。この抑圧の社会的完成と同時に、ムイシュキンとロゴ―ジンが現前する。トーツキイはナスターシャにとって性暴力によって救済者から情欲者に分裂した人物だが、現前したムイシュキンとロゴ―ジンに、この分裂したトーツキイの転移がおこる。ナスターシャの意識と憎しみがこの二人にくぎ付けにされることは、トーツキイの罪が問われないことと表裏をなしている。憎むべきトーツキイがナスターシャの意識(読者の意識も)から排除され、異常な三角関係の情動に閉じ込められて、
ナスターシャは外傷経験の解消の手がかりを失ってしまう。
3. 「キリストと子供の絵」の意味 ナスターシャがアグラーヤに送った手紙に登場する静謐な絵のイメージを第一期における トーツキイ(=キリスト)と幼いナスターシャ(=子供) の関係の再現であるととらえる。ナスターシャはこのイメージの源泉を自覚していない。救済者が性的加害者へ変貌したというおぞましさを可視化し、子供に対する性的行為が心理的外傷となる機制について小説の範囲内で検討する。
4. ナスターシャの怒りの噴出 ナスターシャがラドームスキイに伯父の自殺を公衆の面前で告げる場面を、潜在化していたトーツキイへの怒りが、対象となる人物を変えて噴出した瞬間としてとらえる。伯父は享楽的でナスターシャを狙っていた人物でもあり、トーツキイの「なれの果て」でもある。しかしこのことは「トーツキイ死ね!」という言葉をついにナスターシャは口にできなかったということでもある。憎むべきものを憎むという表出をゆるさない暗然たる抑圧がナスターシャの心を苛み続けた。ムイシュキンはこの怒りの言葉に、そうだ、と言ってくれる存在ではない。苦痛を共有するとされるムイシュキンは怒りを共有する属性をもたない。アリョーシャのように「銃殺だ!」ということはない。